2017年8月31日木曜日

海女さんの天草のところてん

空気がむわっとする。

今年の春、久しぶりの一人暮らしを始めたわたしの家には、クーラーがない。
小さい扇風機がひとつだけ。

ベランダからのぞく空は眩しくて、外気温は33度だという。

まっ昼間になるとじっとしているだけでわたしの熱量を感じる。
あぐらをかいた膝小僧の裏側がぺっとりと張り付いて居ごこちが悪い。
キーボードを叩く指を止め浴室に向かう。
手桶でぱしゃっと体を濡らし、昨日沸かした余韻の残る湯舟に浸かる。

何度目かの浴室に向かうとき、ふいに台所に足が動いた。
ひんやりしたところてんのイメージ。
天草!
すぐさま乾物箱をひっぱり出してひっかきまわし、カサカサした白っぽいかたまりに手がたどりつく。

おととしの夏に手に入れたもの。
3週間かけて魚突きしに、山陰と四国をカブで巡ったときの帰り道。
志摩の海女さんのまち、相差(おうさつ)に立ち寄った。
志摩の海女さんが身につける海の魔除け「セーマンドーマン」が気になっていて、その地に引き寄せられていた。

相差にはセーマンドーマンと関わりのある「石神さん」があり、参道にはおばあちゃんが店を構える露店がぽつぽつとある。
その露店のおばあちゃんこそ海女さんだ。
八十歳ぐらいに見える彼女が牡蠣やアワビを採っているのかわからないけれど、ワカメや天草などを採り、乾燥させたものを店先に並べている。
それらは海にいた頃とすがたが違っていて、わたしには見覚えがない。
おばあちゃんは戻し方や食べ方を教えてくれた。
海女さんのおばあちゃんの、いくつかの海藻と天草をいただいた。

港の方へ出るとたくさんの船が浮かんでいて、黒ずくめの人たちが見える。
ウェットスーツを身にまとった、親近感をおぼえるぽってりとしたシルエット。
「おばちゃん」と呼ばれるにふさわしい人。
大柄な笑い声や話し声が朝の港に馴染んでいる。

港は船が入り混じり、男の人と黒い女の人が入り混じる。
海の方から戻ってくる船。
入り混じった港からすいーと出ていく船。そこにも男の人と、黒く丸っこい女の人がいた。
海のまん中で船はとどまり、黒い女の人はざぶんと、海へと消えてしまった。

船のない、離れた浜にはおばちゃんがふたり。
声はなく、静かにゆっくりと準備をする。
ひとりは黒いウェットスーツを身につけて、浮き袋を抱え、浜から海へと入ってゆく。
ひとりは浜辺で、黒く丸っこい姿をじっと見送る。
肩が、心もとなく小さく揺らぐ。
ゆっくりと、ゆっくりと、黒い姿は海に消えていった。





水に浸かった天草は柔らかい海藻に戻っていた。
大鍋にたっぷりの水を火にかけて、白い海藻を踊らせる。
ふつふつと、立ち昇る湯気が顔に届き、ほのかな磯の匂いが鼻を撫で、湿り気を残していく。

じっくりと煮込んだ海藻を布で漉すと、とろりとしたお湯ができあがった。


陽がかげり、昼間の熱気が冷めた頃、それはところてんになっていた。

口の中でこりっと広がる海の味。
あの、志摩の景色の記憶が通り過ぎる。








2017年5月28日日曜日

電子書籍「雪の家」配信のお知らせ

ここでお知らせするのが随分遅くなってしまいましたが、、
私の初のエッセイ作品「雪の家」、電子書籍配信を開始しています!

「第1回TANPEN AWARD」で受賞させていただいた短編エッセイ「雪の家」と、それの続編となる話「先輩とピッケル」、「雲の上の湯」、「7日目」を書かせていただき全ての話を収録した完全版となっています。




こちらは英語版です。
なんと、受賞作品の「雪の家」についてはネイティブの女性翻訳者の方に翻訳していただいたのです!そして海外配信もされています!




出版元のクリーク・アンド・リバー社さんからプレスリリースも発表していただいています。↓
椎名 誠も認める稀代の冒険女子のデビュー作  Sizuca Abe『雪の家』を世界&日本で配信スタート!!


受賞作「雪の家」はイグルー・雪洞作りとそこでの生活や雪山の空気感を描いていますが、「先輩とピッケル」はその後に出会った「先輩たち」との交流やちょっとばかしドキドキハラハラする冒険について書いています。
「雲の上の湯」は小噺のような。気の抜けた、それでいてちょっとばかしはらはらっとする旅のあいまの話しです。
「7日目」は旅の最後の締めくくりとなる話で、森の生活者もぴょこんと登場したりします。

決してマッチョでスポーティな雪山山行ではないのですが、山に分け入り雪の森に迷い込んで行くような、シロウト2人がたどたどしく、山と戯れながら旅をする様子を垣間見て、楽しんでいただければと思います。

また、表紙の絵も私が手がけております!
これは雪洞の中から外を覗いた時に見える、切り取ったような景色なのですが、晴れ渡った空の下で何時間もザクザクと穴掘りをし、疲れてしまってフッと一息入れたとき、こんな景色が見えたのです。自分が騒々しく動いていたせいか、それをやめて穴から外へ意識を向けるとやけに静かで空は穏やかで。時々木の枝から落ちる雪がぱさっと、くっきりと響く。
 この景色は、「雪の家」の旅において象徴的なものだったのでこの絵を表紙に使った次第です。
文中にもいくつか私が描いた挿絵が掲載されてまして、結構自分がやりたいことを自由にやらせてもらいました。無名の新人なのに、電子書籍と言えど、ちゃんと出版社から出版させてもらっていてなんて幸せな待遇なんだろうと。こんな機会、大物作家にならない限り次はないだろうなと思ったり。。
なのでぜひ中身のイラストも含めてぜひじっくりと見てあげてください!
そしてもしよかったら感想を寄せていただけたら幸いです!!!


多くの方に読んでいただけますように、そして 楽しんでいただけますように、これからも地道に活動を続けていきたいと思います。

2017年2月23日木曜日

「この世界の片隅に」

 映画「この世界の片隅に」をやっと観てきた。

 昨年、「君の名は」をまわりの人が勧めるし、どんどん話題になるので、これは観なきゃならないんじゃあないか、という気になってきて、よし久しぶりに映画館でアニメ映画を観に行こうとなった。この映画はずいぶん話題になったし多くの人が観ているかと思うのでここではそれについては書かないけれど、確かに面白かった。観に行ってよかったと思う。熱が冷めぬうちに友人に話す機会があったのでその熱を伝えると、「まだ観てなかったんだ(笑)でもこっちの方がわたし的にはよかったよ」と教えてくれたのが「この世界の片隅に」。え?この映画よりよかったの?!と、わたしの頭の片隅には「この世界の片隅に」がずっととどまり続けていた。
 
 大人になってからアニメ映画はジブリぐらいしか観てこなかったわたしのアニメ映画の概念はぶっ壊れて、気になり出してしまった「この世界の片隅に」。それもだんだんと巷でも話題になっている、、、ああ、やっぱりこれも映画館で観るべき映画なのか。よし、観るぞ!と意気込んではみたものの大手企業が制作した映画のようにどこでも上映している映画とは違って場所が限られているし、できれば1100円で観られるレディースデイに行こうとか、そういったもくろみでなかなかタイミングがつかめずにいた。
 それが今日、降ってきたようなタイミング。あれ、レディースデイじゃん。これは観るしかない。

 実際に観て。やっぱり観てよかった。しかし一人で観にいってきて感想を伝える人が近くにおらず、悶々しているので熱が冷めぬうちにと、こうして書いている。
 まだ観てなくて、観ようと思っていて内容知りたくない人はわたしの感想ではネタバレになり兼ねないので要注意。笑

 映画が始まってすぐに涙腺がゆるむ。多分、普通の人は泣きどころではないと思う。挿入歌の歌声と柔らかな風景描写、ヒロインの女の子の佇まいの懐かしさなどが心の琴線に触れてしまったのだろう。心の動きとピタリと連動するかのように機能するわたしの涙腺はいとも簡単に決壊する。そして、120分ものあいだ、涙腺は開通しっぱなしであった。

 映画の舞台は戦前から戦後にかけての広島と呉。主人公の幼少期からはじまり、18になる頃、顔も知らない人のところへ、知らない呉の土地へと嫁ことになる。ほんわかとしたマイペースな主人公だけれど、慣れない嫁ぎ先で生きていくために自分なりに努力をしてその家のやり方を覚えていく。当たり前のようにそれを受け入れているように見えるがそれでも10円ハゲはできて。
 昔の人は心が強かったわけではなくて。その時代の「当たり前」をただ、受け入れる。
 
 嫁いで間も戦争が始まって食料が配給制になる。少ない食料でどうやって家族のお腹を満たそうか。主婦同士で情報交換し合ってご飯の炊き方の工夫、食べれる野草の種類や調理方法の習得。着物をモンペに仕立て直す方法。家族総出で庭に防空壕を作る。
 ただ家のことをこなすだけでなく工夫しなければ生きていけない。家族や地域と協力しなければ生きていけない。

 ついに空襲が始まって、空襲警報が昼夜問わず突然鳴りだす日々。鳴り出したら防空壕。仕事に出かけ、家事をし、配給に並び、空襲警報が鳴り、防空壕で待機し、干した洗濯物が煤だらけになる日常。故郷から兄が骨になって帰ってきたという知らせを受け、兄の脳みそだった小さな塊と対面するも実感がない。日々を生きる人たちにとって戦争は日常でありながら遠くにあるよくわからない存在。よくわからないものによって作られている日常。
 
 呉の空襲が激しくなり、 ついに主人公は自分の右手とその手を繋いでいた義姉の子供を失うこととなってしまった。ただ、無常感。子供を失ったのは自分のせいにできる。けれど、右手も子供も時限爆弾によって失ったのだ。
 右手を失って家事がままならず、義姉の子を失わせてしまって義姉との関係もギクシャクしてしまい居づらくなってしまったが家族はそんな主人公を受け入れていて、自分の家族・居場所はこの家であることを再認識する。
 
 晴れた日のある日、空がピカッと光り広島の方にあの、「雲」が昇っていた。呉では広島に何が起きているのか分からなかった。
 そして8月15日、ラジオで終戦が告げられた。?終戦したってこと?日本は負けったってこと?日常を生きる人にとって実感は湧かない。ようやく広島に行くことができて実家に帰ってみれば姉は弱っていて、母はあの日街へ出たっきり帰ってこない。父はあの日の数日後に死んでしまったらしい。広島の町は変わり果てていた。変わり果てた町でみんな誰かを探している。人々はそれぞれに日常から何かを失ってしまった。
 それでも日常は生きている限り続いている。失ってしまったことを受け入れて生きていく。
 主人公夫婦は戦災孤児に出会い、連れ帰って家族となった。生きている人で支えあって、前を向いて歩く。

 この世界の片隅に、ある日常。その時々の日常を受け入れて、誰かと誰かが出会い、支えあって、日々を生きているんだ、という、この世界の片隅にある、声。
 今もじーんと、心に響いている。

2017年1月9日月曜日

謹賀新年2017



 新年明けて9日も経ってしまいましたが、、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 昨年の下半期は自分自身の心がざわついていてブログ更新の意欲が減退してしまい、ぱったりと更新をやめてしまったのですが、、今年はそのようなことがないように、、。

ちょこちょこと、旅と暮らしについてのあれこれを引き続き上げていきたいと思います。

今年は写真よりイラスト重視で!を目指したいと思います。

 第一弾として今年の年賀状。
 これは去年の夏に行ってきた、能登半島・魚突きの旅の様子の一コマ。
 大概いつも夏の旅は長期のバイク旅になり、荷物をかなり積載していくこととなるのです。
おまけに魚突きの道具も積むとなると、90センチの長さの手銛(使うときはこれを繋げて180センチ〜270センチにする)や長〜い足ヒレ、5キロもの腰につける重りを収納しなければならず、毎回頭を悩ましている。
 そして今回はこんなスタイルになったのです。これは割とスマートに収まった方だと思うのですが、それにしても滑稽で、私たちの旅を象徴したようなビジュアルだったので年賀状のイラストに採用してみたのです。
普段なかなか会えない人も、このイラストを見て、「相変わらず元気にバカな旅続けてるんだな〜」と笑ってもらえれば幸いです。

 ちなみにこのイラストは、昨年からスタートした同世代のアーティスト仲間4人でやっているアートジン・「プレッシャー」にも掲載しています。
 能登半島の旅のことを少し載せているので、そちらも見ていただけたら嬉しいです。
 発行はもう間も無くなのでまた改めてお知らせしたいと思います。


今年も良い年になりますように!

2016年6月29日水曜日

奥多摩 梅雨のテント泊

 6月に入って少し経った頃のこと。
気づけば、あっという間に月日が経ってしまっていた。

 うかうかしていられない。
晴れが続いていたので、
よし、7日間ほど山を歩こう、
と思いたったのだけど、いつの間にか雨マークに変わっていた。

 関東も梅雨入りをした、と、どこかで耳にした。
季節は待ってくれなかった。一歩出遅れてしまったようだ。

 仕方がないので7日間の山歩きはやめにして、梅雨らしく、家でじっとすることにした。しかしどこか期待を持ちながら。

 梅雨の空はころころと変わる。
雨かと思えば、急にお日さまが覗いたりする。
気が気じゃない。もしかしたら、ということが急に訪れるかもしれない。

 ほら、やっぱり。
週の終わりには晴れマークが見え隠れし始めた。
 滞っていた山の準備を何となしに再開する。それでも信用ならないので、本腰を入れられず、ゆらゆらと、どっちつかずに揺れていた。

 予報は少し揺れ動いたが、お日さまマークは最後までそこにとどまっていた。
本腰を入れられないまま来てしまったので、なんだかやりきれない感じがあるけれど、もう、思い切って出かけることにした。


 早朝、バイクで走りだす。
 日の出はもうずいぶんと早く、梅雨が通り過ぎてしまったような初夏の日の朝だった。
さわやかな外気の中を走り抜け、気持ちのいい朝の光を浴びる。
気分もさっぱりとする。ああ、山に出かけることにしてよかったのだ、と確信する。


 2時間ほど走り続け、奥多摩駅に到着した。
そこからバスで30分ほど行くと小川谷林道からの登山口がある。そこからぐるりと雲取山の方まで歩いていこうと思ったのだ。
 わたしの選んだ道はアズマシャクナゲの群生地がある。時期が少しばかり遅いかもしれないが、運が良ければ咲き誇る花々の中を歩くことができる、すてきな山道であるはずだ。
 また、原生林の森を通ることになる。みずみずしい6月の原生林、最高に気持ちがいいんじゃないだろうか、、と妄想する。
 少々オーバーウォークになってしまうがやれないことはないなと思い、かなり遠回りになるその道を選ぶことにしたのだ。


 乗り込んだバスは登山者で溢れていたが、途中の登山口でどっさりと降りていき、終点まで残ったのは小慣れた感じの登山の格好をしたおじさんと、同じくそういった装いのおばさんと、パンプスにスカート、チノパンという、山歩きには相応しくない格好をした若いカップルだけだった。
 バスを降りるとおじさんとおばさんはそれぞれに山へと入っていき、カップルは観光地である日原鍾乳洞の方へと散り散りに消えていった。
  わたしはというと、途中までおじさんおばさんと同じ方向へ進んだが、登山道の分かれ道でひとりきりとなった。
 わたしの進む道は 鬱蒼と草木が茂る登り坂だった。見上げるほど、ずっと登り坂が続いている。今まで平坦な道を歩いてきたのでたじろいだ。ああ、わたしだけこの急な登り坂を行くのかと。少々気後れしてしまう。
 しかしこの道を進むと決めたのだから、と、自分に言い聞かせ、前へ進むことにした。

 青々しい香りがむわっとする。 初夏の日差しを浴びた草木の勢いったらハンパない。
 日差しが、きらきら、からギラギラに変わりつつある。頰を伝う汗をぬぐい、手拭いで頭を覆う。
 息が上がる。こんな夏みたいな日の、山登りらしい山登りは久しぶりで、照りつける登りの山道には少々うんざりしてしまう。
 それでもしばらく登ると 高い木々が空を覆い、深く青い森が姿をあらわす。
しっとりとした木々のあいだを気持ちの良い風が抜ける。森が作った日陰にちらちらと陽の光が揺れる。
 木々の奥の方にふっと建物が現れた。 
おそらく、地図に記されていた、「大日神社」だろう。
近寄ってみると、しばらく放ったらかしにされてしまっているのだろうか、屋根は崩れ、戸が傾き、半開きになっている。
静かに朽ち果てようとしていた。
その様はなんだか神妙で、しかしまだ人の息遣いがかすかに聞こえてくるようだ。

 鳥居の前でザックを降ろし、少し手を合わせてから先を進んだ。



 しばらく歩くと開けた平地の森があらわれた。


 近い山域だからか、なんだか奥秩父の山の雰囲気に似ているように思う。
 こんな開けた森があるなら、いざとなったらテン場までたどり着けなくても野営できるな、と、心なしか少し安心する。


 登りは最初に到達する頂上まで続くが、ちょこちょこと平地や下り坂もあり、少しずつ山に変化が出てくる。また景色も豊かになってゆく。

舞茸みたいなキノコ

ちっちゃいサルノコシカケ

生え方がすごく魅力的


そしてまた建物が現れた。





 もう少し先の山頂に天祖神社があるはずで、その手前の会所のようだ。といっても、使われているかどうかは定かではない。戸の建てつけが悪くなっているようだが、数年内に人の手が加わった感じもある。
新緑に囲まれた丘の上にポッコリとあり、その佇まいがよかった。


 そして天祖山山頂の天祖神社。


なだらかな丘にすっと現れたので、ここが山頂という気はしなかった。
しかしその緩やかな山のてっぺんに静かに存在しながらも、そこには厳かな空気が漂っているような気がした。

 結構きれいに保たれているので廃神社ではなさそうだがここは標高1723mで、それなりに標高があり、登り坂が続くのでなかなか大変だ。
神社を保つためにこの山道を行き来している人がいるのだろうか。



門は閉まっていて入れず、柵から中を覗くと、小さな祠が社の周りを囲っていた。



 さらに先をゆく。
ここから今いる尾根を少し下り、水松山の尾根へと入ってゆく。



サラサドウダン

尾根に木の根っこが張り巡り、なんだかすごいことになっている


 このあたりは植生に変化があって歩いていて面白かった。
途中、シダ類が茂る原生林のようなしっとりとした森があった。うつくしく、気持ちのいい森。この景色に出会えた喜びは大きかった。


シダの森。うっとりとしてしまった




 
 埼玉県と東京都の県境である長沢背稜に行き当たり、雲取山方面へ、県境の上を進む。

 そしてこのあたりから体の疲れが目立ってくる。そろそろ歩き始めて5時間ほど。しかし後3時間は歩かなければならない。
上り坂が辛いが、気合を入れて歩くしかない。休み休み水を飲み、行動食を食べてなるべく消耗しないように心がける。
 そして残念なことに、少し期待を持っていたアズマシャクナゲの群生地は、見事に時期が過ぎていた。今年は暖かかったから開花時期が早かったのかもしれない。
 群生地は、花がなければしんどいばかりの上り坂だ。心が折れてしまいそうになるが、この先を行くしかない。

 しかしその先を登ると、気持ちのいい尾根だった。
その頃には足がくたくたで、全身の疲れで朦朧としていたので全く余裕はなかったが。
なんとかテン場まで歩ききったようだ。


 残りの余力でのろのろとテントを建て、すべてを終えるとバタンと突っ伏してしまった。

 気がつくと、あたりは薄暗くなっていた。1時間ほど眠ってしまっていたのだ。
起き上がろうとする体が重く、足の筋肉という筋肉が痛い。
もう、何もしたくない。
 明日、こんな状態で歩けるのだろうか、いや、歩かなければならないのだ。そして多分、明日には歩けるようになっている。
 そうなっていればいいという期待と、そうでなければ困るという想いと、そうなるはずだという自信。自分でもよく分からない感情で、この状況と向き合っている。そして、ただただ疲れていて、頭が回らない。
 そういえば空腹状態が極限を超えていたんだ、ということを思い出し、疲れが勝っていたのだが、明日のことを思って無理やり気力を起こして食事をした。そしてさっさと眠ってしまうことにした。



 隣のテントのゴソゴソ、という音で目を覚ます。

 わたしのテントの両隣には、ソロで歩いているお兄さんがいた。一人で歩いているお兄さんは大抵そう見えてしまうのだが、それぞれに寡黙でクールな雰囲気で、とっつきにくい感じがする。もしかしたら、相手からも自分がそう見えているのかもしれないが(全くそんなことないのだけど。そして相手も同様にそうなのかもしれない)。だから、最初にテン場に入る時に挨拶しただけで、あとは会話はしなかった。…それ以前に疲れていて誰かと話す気力さえなかったということが本当のところではあるのだが…。

 右側のお兄さんは行動が凄まじく早く、日が昇る前、他の誰よりも早くに、いつの間にかテン場から姿を消していた。
 左側のお兄さんもわたしより少し早めの撤退。
 わたしはというと、早くに目を覚ましたものの、のんびりとコーヒーをすすり、体を起こし、日の出を拝んでから撤退をした。


昇ったばかりの太陽。肉眼では真っ赤っかだった




 早朝の森はしっとりとしている。空気が水気を多く含み、靄となってあたりに漂っている。
 どこからか、フクロウの鳴き声がする。
まだ、多くの生き物が目覚める前、早起きな鳥の声だけが静かな森に響き渡る。





 朝一番。 雲取山の山頂にたどり着いた。
日が昇っていて明るいが、ガスがかかり、景色は何も見えなかった。それでも山の頂上というだけで、なんでか気持ちがいい。
 ここで、朝食を作って食べることにした。



 雑炊を煮立たせて、ゆっくりと食事をしながら行き交う人々を眺めていた。
 山頂は、わたしを含め、多くの人の足を止めさせる。たとえ見晴らしが悪くてもあたりを見回し、ちょっと休憩し、記念撮影をし、思い思いに過ごしてから通り過ぎてゆく。
 山頂というだけで、人を留まらせるのだ。
 そんな山頂でわたしは誰よりも長居をし、早朝から朝になったところで山を下っていった。


 朝といっても山に完全に陽が届くのはお昼より手前の、太陽が完全に昇りきってからで、それより前はみずみずしい早朝の余韻が山中を漂っている。
 
 6月の奥多摩の山に入って気づいたのは、蕗が見事だということ。所々に蕗畑があり、いきいきと茂っているのだ。
 特に、朝がうつくしい。
しっとりとした靄の中に薄く陽が差し、みずみずしく光る蕗。
 朝の時間が作り出す蕗畑は幻想的だった。
 時として山頂で見る景色よりも、森の中で出会う風景に感銘を受けることがある。この、朝の蕗畑は、わたしにとってそんな風景の一つだった。
 一晩山で過ごし、この景色に出会えて本当によかったと思う。
これでこの山域がずいぶん好きになってしまったようだ。







 山小屋がいくつか続くメインストリートのような山道を過ぎると、先ほどまで数人の登山者にすれ違っていたのがぱったりとなくなり、シンとした、静かな森を歩いていた。
 歩いていて、何かの気配を感じ、森の奥を見ると数匹のニホンザルがいた。
少しだけ、目が合った気がする。ちょっとだけ胸が弾む。
 その後少し進むと、今度はニホンジカが朝の光を浴びながら、悠々と森の奥を歩くすがた。陽の光のせいか、なんだかうつくしい光景だ。
 うわー、と、思わずため息が出る。
 山で野生の生き物を見つけるとどうにもワクワクしてしまうのだ。
 ありふれた獣で、むしろ増えてしまっていて地域の人や山の環境を保全する立場の人は困っているのかもしれないが、山を歩いていてもそう頻繁に会えるものでもないので、そのすがたを垣間見れた時はやっぱり嬉しい。 
 朝、一人で静かに歩いていると彼らに会える確率が高くなるようだ。




  そろそろずいぶん歩いたなという頃に鮮やかな色が目にはいる。



 ヤマツツジだ。
ヤマツツジのピンク色は新緑のこの時期、山の中ではひときわ目立っている。
しかしこのヤマツツジ、都会で見かけるものよりは柔らかい色をしている。それでも山の色に混ざると、目の覚めるような色を放ち、それでいて調和のとれたピンク色なのだと感じる。
 6月のいま、山の中でどんな花よりも力強く咲き誇っていた。



 
 そうして陽がずいぶんと昇った頃、徐々にすれ違う人が増えてゆく。団体で楽しそうに歩く年配の登山者、一人で寡黙に歩く男性、山ガール風の女子たち、颯爽と走り抜けていくマウンテンバイクのお兄さんやトレイルランナーの人々。
 奥多摩の山は、ジャンルレスに多くの人を受け入れ、愛されているのだろうと感じる。首都圏に住まう私たちにとって気軽に行くことのできる、親しみやすい山なのだ。

 わたしはどんどんと下る。ひたすら下る。
 下山に選んだ道は思いのほか急勾配で、いかにも植林地帯の杉林をひたすら下る。下りすぎて、膝がおかしくなりそうだ。時折、登ってくる人とすれ違うのだが、かなり辛そうだ。なにしろ本当にひたすら急勾配の、杉の木しかない道なのだ。下りならまだしも、登りなんて試練でしかないと思う。
 地図でよくよく見ると確かに等高線が細かくなっていて急坂であることを示しているが、一見わからない。これは気軽に入れる山のちょっとした落とし穴だ。アクセスがいいからとか、簡単な理由で決めてしまっては後々後悔するということを思い知らされるような道であった。
 小走りで駆け下りていく。ひたすら続く下り坂を利用して、でも勢いがつきすぎないようスキーみたいにトレッキングポールで時折ブレーキをかけ、スピードを調節する。1時間以上そんなことをやっている。いつまで続くのだろうか。
 ひたすら駆け下りていると膝への負担が大きくなるのでだんだん足が保たなくなってくる。
 一旦休憩を入れ、GPSで位置確認をしてみると、あと30分ほど歩けば下りきるぐらいだろうか。よかった。ゴールが思いのほか近いとなればあとは歩いていこう。
 そう思って歩き出すが、この下山するまでの道のりは辛く、ずいぶんと長く感じられた。

 そしてついにアスファルトの地面を踏んだとき、膝はガタガタだった。踏み込んだ足に力が入らず、歩き方がぎこちない。思った以上に疲れきっている。
 実は、このあとさらに御岳山の山域に入っていき、もう一泊する計画を立てていたのだが、早朝から歩き続けて7時間、そしてこれから3時間の上り坂を、このガタガタの足でこなせるのか、という疑いが大きく膨らんだ。
 アスファルトの道を歩きながら頭の中で葛藤を続けていたが、結局、疲労が勝ってしまう。
 もう、こんな足じゃ歩けない。やっぱり楽しく山を歩きたい。わたし、アスリートじゃないんだから。そんな無理する必要ないじゃない。弱音がどんどん出てくる。

 よし、もう帰ろ。十分満喫できたし。温泉にでも入ってのんびり帰ろっと。
 
 こうして梅雨の合間の短い旅は終わったのだ。



2016年5月30日月曜日

人体実験的干物作り

 神津島滞在の2日目。

 干物作りをする。





 突いたブダイを腹開きにし、海水に30分ほど浸し、干す。

 作り方は諸説あり、塩分濃度は10〜15%がいいと言っている人もいれば3〜5%がいいとか、海水で出来るとか、塩水でなく塩を振って干すなど、調べるといろいろ出てくる。
 また、漬ける時間も20分〜1時間以上と様々。これは塩分濃度と魚の種類によるんだろうけど、とりあえず最もシンプルに海水で作れるというものをやってみることにした。
 それによると、20分ほど漬ければいいとあるが海水濃度は3.5%ほどなので、10
〜15%の塩水に1時間漬けるというものとは随分と差がある。見比べていくと海水で本当に浸かるのかどうか少し怪しく思えてくるがやってみないとわからない。
 目の前に海があってそれを活かさないわけにはいかないという気持ちに突き動かされる。
 海水でやってみよう。ただ、漬ける時間を少し長めにみることにする。
 

ブダイの腹開き。水っぽい魚なので干して旨みが出ることに期待


 1日中天日干しし、海辺の潮風にさらす。午後になり、どこからともなく小蝿が集まってきた。醸し始めたのだろうか。魚の干され具合が気になって表面に触れてみる。まだまだしっとりとしていて全く干物らしくない。水分が多い分、数日は干さなければならないのかもしれない。



  夕方、また海に潜り、私は相変わらず一匹も突けなかったが、相方が、なんとイシガキダイを突いてきた。


 
 イシガキダイやイシダイ、クロダイなどは水深10m前後の場所にいる魚で、魚突きをやっていく段階で目標としてよく取り上げられ、イシダイを突くことができればスピアマンとしてそこそこの腕があるという風に見受けられる。5m以下で四苦八苦しているわたしにとってはまだまだ遠い魚であり、憧れでもある。
 そのイシガキダイを相方が突いてきたのだ。しかし、聞けば戻ってくるときに5m以下の浅場で見つけたという、ラッキーだったのだ。
 たまに、潮の流れなどの海の変化で浅場にいないはずの大物にお目にかかれるということがあるらしい。今回はまさに、そういうことだったのだと思う。
→相方に再度確認したところ、水深8mほどのところで見つけたらしく、いてもおかしくない場所で、特にラッキーではなかったようだ。また、イシダイ・クロダイなどは基本は沖の方にいるが潮通しによって浅瀬に来ることも稀ではないよう。私の聞き間違いの勘違い。。それにしたって私にはまだ手の届かない魚には違いないのだが。。

 
 イシガキダイはその日の晩、1/3ほどを食べた。刺身や塩をして焼き魚に。残りの身は全て干す。これらの身は塩を振って干してみることにした。



 イシガキダイは脂が乗っていて、焼き魚にするとなんともジューシーで美味しい。脂の甘みと塩気が相まってご飯がすすむ。こんなに美味しい魚があったのかと感激してしまった。
 ただ、イシガキダイにはシガテラ毒という毒があると言われていて、ある植物性プランクトンを食べることで毒が蓄積され、個体が大きいほどその危険性があるという。死亡例はほとんどないが、毒によって下痢や腹痛、吐き気、頭痛、痺れなどの症状が出ることがあるらしい。しかも、症状が重いと半年〜数年はその症状が続くらしく、それを聞くとちょっと怖い。
 しかし、それだけといえばそれだけ。シガテラ毒ではそう簡単には死なないので結構食べてる人は多いよう。なんてったって美味しいし。
 築地市場では大きいのは出回らないようだけど、九州とか沖縄では食中毒の報告が多いだけ、多分普通に食べているのだと思う。


 夕飯を終え、風が出てきた。今晩は大荒れの予報だったのだ。テントでしばらく過ごしていると、雨音がする。
 もう降り出してしまったか。
 急いで干しカゴをテント内に取り込むが魚が少し濡れてしまった。仕方がない。

 台風のような雨風が一晩中荒れ狂う。テントが持ってかれてしまうのではないかというくらい、激しく壁が揺れていた。

 朝になり、少しずつ風は弱まり、雨も静かになっていった。昼前にはすっかり止み、干しカゴをまた木に吊るす。
 晴れ間も見え、すっかりいい天気になってしまった。ただ、海はかなり波が高く、しばらくは潜れないだろう。


 昼に、昨日獲れたイシガキダイのエンガワとカシラあたりをいただいた。残りの半身はさらに干し、干物にする。

脂がとろけるようで激うま。頰肉も絶品だった


  午後の眩しい日差しを受け、干していた魚はあっという間に乾いていった。小蝿もまた、だんだんと群がってくる。一時はどうなるかと思ったが、順調に醸されているようだ。

 そして次の日、異変に気がついた。ブダイの匂いがおかしい。
 イシガキダイの方は、普通の干物の匂いなのに対し、ブダイは、ちょっと腐敗臭がする。。
 これ以上干してもしようがないと思ったので、その日の夜に食べてみることにした。

 


 見た目はいい感じの干物になっているが、、酒で戻し焼いてみるとアンモニアのような臭いが漂ってくる。。



  焼いたブダイの干物はパスタで和えて食べてみることにした。

 うーん、、干物の味ではあるが、ちょっと怪しい酸味がする、、?正直、臭いと酸味に邪魔されて、食がすすむ味ではない。。
 ちなみに、このパスタの中には初日に「よっちゃれーセンター」で買った魚のミンチも入っている。ちょっと痛み始めていたので、酸味の原因はどちらだろうか、それとも両方なのか。。
 なんとも複雑な味だったが、食べれないことはない。相方が半分以上食べてくれて、二人で食べきってしまった。
 その後、お口直しのボロネーゼパスタを食べ、後片付けも済んで眠りにつこうかとしていた時に、相方が突如腹痛と便意に襲われた。
 お腹を下したようだ。やっぱり、そうだったのだ。
 しかし原因はブダイなのか、ミンチなのか。
 また、わたしのお腹はなんともならなかったのも不思議だ。

 一つ言えることは、ブダイの干物は失敗したのだろう。敗因は、雨で濡らしてしまったことと、湿度の高い場所に一晩おいてしまったこと、そして魚に浸透した塩分が少なかったということだと思う。
 だからといって海水で作れないというわけではないと思う。もう少し長いあいだ海水に浸けておけば違うかもしれない。

 まだまだ奥が深い干物作り。もどかしいので、海水での干物作り、また挑戦しようと思う。
 

2016年5月25日水曜日

神津島、潜り潜る2日目

 ぱきんと目覚めた2日目。
前日の頭痛と気持ち悪さは嘘のようになくなり、体はすっきりとしていた。
 5時前。清々しい早朝。
テントの入り口をめくると、しっとりとした景色が向こう側にある。
陽が覗く前の空気は薄青く静まり、冷んやりとする。

 ゆっくりとチャイを作る。
普段はコーヒーばかり飲んでいるが、胃腸の状態が良くないので今回は思い切って持ってこなかった。
代わりに、スキムミルクと黒糖をたっぷり入れた、濃厚なチャイを作る。





 目の前の浜辺には天草が干されている。パッチワークのように配色された花壇みたいだ。
その先の水平線には一艘の白いヨットが浮かんでいた。
 ぼんやりと、チャイを啜りながら、ゆったりと流れる朝の時間を眺めていた。
やがて白いヨットは、空の向こうへ吸い込まれていった。




 ゆっくりと支度をはじめる。
顔を洗い、歯を磨きながら体を大きく伸ばし、首や腕などをぐるぐると回す。
 テントで眠ると少なからず体が凝り固まってしまうので、それをほぐしてやる。
また、筋という筋を伸ばし、海の中で体がつってしまわないようにする。

 5時、6時、7時とまわり、陽はいつの間にか昇ったのか、辺りに光が差していた。
 銛を組み立て、身支度を済ませ海へと向かう。
上下水着姿で海水に浸かってみる。思わず、ひぃぃっ、とこぼし、身が縮こまる。
 陽の射しはじめたばかりの海はまだ眠っているかのように冷たい。地上に比べ、朝がやってくるのが少し遅いようだ。これから徐々に陽に起こされるのだろう。
 一瞬戸惑いながらも腰まで浸かってしまう。そして、海水を手で掬って肩に掛け、頭から潜る。
 ひゃー、冷たいー
 喚きながらもウェットスーツのロングパンツを手元に引き寄せ海水に浸し、素早く慎重に、足を通していく。
ぐいぐいとたぐり寄せ、腰まで履いてしまえばこっちのもの。
 そしておいてけぼりになっている上半身。朝の風が吹き付けてくる。
 そそくさと上半身に着るウェットスーツの中に海水を流し込む。
 両腕を先に通し、それから頭からズッポリかぶって体を通すのだけど、久しぶりに着るのでこれでいいんだったか戸惑う。しかし腕は通してしまったし、体に風が当たって寒いので、いつまでもこうしてはいられない。
 思い切って腕と腕の間のウェットスーツの隙間に頭を突っ込む。苦しい。早く脱出しなければ。
 少し焦りながら頭のてっぺんで出口を探し、たどり着く。ぐいぐいぐいと頭を脱出させたが、顔から顎にかけての脱出が一苦労。うまくいかないとなかなか抜け出せなくて息苦しくなってくる。そうすると少々無理に顔を引っこ抜かなければならない。
 ウェットスーツに傷がつかないように、爪を立てないように生地を思い切り引っ張り、顔面を救出する。その際髪の毛が巻き込まれて引っ張られる。痛いのだが、顔の救出に全力を注いでいるので何本か抜けてしまった髪の毛にはかまってられない。
 そうしてなんとか暗闇から這い出れば一呼吸、落ち着くことができる。
 それから耳が折れ曲がらないように気をつけながらフードを被り、フィンブーツを履く。グローブをつけ、腕にゴムベルトでナイフを装着し、重りのベルトを腰につけ、メグシとナイフの落下防止のフックをベルトに引っ掛ける。
 頭に水中メガネを乗っけてフィンを履けばおしまいだが、ここまでたどり着くまでに30分はかかっている。潜るにも、一苦労だ。

 1年ぶりの海なので、わたしはまず手銛を持たず、潜る練習をする。
180センチもある手銛を持つと、そればかりに気を取られ、ただでさえ潜れないのにもっと潜れなくなってしまう。魚を突くのも潜るのも、どっちもまともにできないのでどっち付かずになり、何もできずに終わるという残念な経験を以前にしたことがある。
 なので、まずは潜る練習をと思い、手ぶらで海に入る。
 それでも腕にはナイフをつけ、腰にはメグシをつけて。魚突きをするときの道具を身に付けることに慣れる。また、魚を突かなくとも潜っている時に釣り糸が足に絡まってしまってどうにもいかない時など、ナイフに助けられることとなるだろう。

 
 浅瀬から、流れに身を任せ、すぃぃ、と入る。
シュノーケルを咥え、海の中を眺めながらプカプカと、そしてたまに漕いでみる。
 海の中は静かだった。はじめは少しばかりの波に揺すられ、波から起きた小さな泡や、静かに揺れ動く赤い天草が前を覆う。天草の森を抜け、赤茶色の海藻が施されシックな装いをした岩々をすり抜けていくと、次第に視界は広がり、底を見下ろす。ゆらゆらと、海面のリズムに合わせてキラキラとした光が踊る。
 時々、派手な色をした小さな魚がわたしの体の下や脇を軽々と通り抜けてゆく。
 向こうで、相方の潜っている姿が見えた。




 ふわふわと、流れる景色を眺めていた。
 岩々は、遥か下の、手の触れられないところにあった。海底は白い砂地になっていて、ぽこぽこと岩が並んでいる。岩と岩のあいだを、少し大きめな黒と白の縦縞模様の魚がスイスイと泳いでいく。あれは何がったか、、ナントカダイ。
 それはこの旅のあいだ幾度となく見かけることとなるタカノハダイだったのだが、このときの私は、あれ?もしかしてイシダイじゃないか?!と思い込んで興奮気味だった。
 イシダイって確か高級魚で脂が乗ってて美味しいんだっけ。どうしよう、真下にいる!、、でも手銛を持っていないし持ってたところで私には突けないだろうな、、なんて。
 後々調べてみれば色もかたちも全く違っていた。海に入る前にネットで何となしに見ていてもピンとこないのだけど、潜って出会った姿かたちや泳ぎ方でこれは誰なのかということが徐々にわかってくる。

 体が海に馴染んできた。
 呼吸を落ち着かせ、おもむろにシュノーケルを口から外す。すーっと深く息を吸い、鼻をつまんで軽く耳抜きをし、頭から、自分の体を目がけるように水に入り込む。足を漕ぎ、体を底へと向かわせる。
 見下ろしていた景色が目の前に迫る。指先で岩に触れる。
 頭がぴきぴきと痛くなってくる。すぐに上昇。顔を海から脱出させ、空気を取り込む。
 やっぱりか。耳抜きがうまくいかない。抜け切れてないのだろうか。潜ると頭の奥がぴきぴきとするので海の底で留まっていられない。
 どうにもうまくいかないので、時間をおいては海底へと潜る。しかし、力んではならないので、あまりそればっかりを考えないでふわふわと泳ぎ、不意に潜る。

 やがて人口的なブロック群が現れた。魚礁というやつだ。
四角い空洞のブロックがいくつも並んでいて、中を覗くと脚の長い、紫と白の配色の綺麗な色をした蟹や、大小の魚が行き交うのを見かけた。ブロックの影にとどまり、海藻を食んでいる魚もいる。多くの生き物がここを住処としているのだろうか。または交差点のような場所なのか。広大な砂漠の中にぽつんとあるオアシスのようでいて、大きな都市のようにも見える。
 魚礁ブロックの上には大きなシッタカがごろごろと張り付いていた。こんなに大きなシッタカは浅瀬にはいなかった。ここまで人はあまり来ないからなのか、或いはシッタカなんて誰も見向きもしないのか、獲られずに、ここまですくすくと大きく育ったのだろう。
 シッタカは茹でて食べると歯ごたえがあって美味しい。これらの貝はとっても怒られないってバスの運転手のおじさんは言ってたっけ。
 シュノーケルを外し、息を止め、手を伸ばす。
3、4個シッタカを拾い、魚礁の都市を後にした。



 向こうに目をやるとオレンジのブイが見える。相方の居所だ。ブイの何メートルか先で潜っているのだろう。
 追いかけていき、ブイを捕まえる。ブイにぶら下げていた網袋にシッタカを入れ、ぶらぶらと水面に浮かぶペットボトルを捕まえて水を飲む。少し塩水を飲んでしまっていて口が塩辛くなっていたので助かった。

 しばらく相方のそばで潜っていると唐突に海底に潜ってゆく姿があった。そして、海底に向けられた銛。獲物を捕らえたのだろうか。

 銛を手に持ち、ふわりと浮いてきた。よおくみると銛先に刺さっている。仕留めたのだ。




 わたしに気づき、こちらへゆっくりと向かってきた。
 小さな歯がじゃぎじゃぎに並んだ口。赤色が斑らに入った体。ブダイだ。お腹にぶすりと銛先が突き刺さっている。
 わたしのメグシに通してほしいということだろう。お互いにシュノーケルを咥えているので言葉は発せられず、何となしに察する。
 わたしの手元に獲物が向けられる。ジタバタと動くブダイを手でしっかりと押さえ込み、エラにメグシを通そうとする。
 通らない。すんなりといかず、躊躇してしまう。
 自分の手で、魚のエラから口へとメグシを通すのは初めてだった。今まで、相方がやっているのを横で見ていたけれど、実際に自分でやってみると思うようにいかない。ブダイはまだちゃんと生きていて、まだまだ生きようと必死であらがう。赤い水が、もわもわと舞う。
 わたしは怯んでしまう。けれど、待ってはくれない。
 思い切って手に力を込め、エラからグイグイと刺し、出口を探す。
 ようやく、口から金属の先端がのぞいた。


 
 体に刺さった銛先を抜く。弁のついた羽のような形状になっていて、突いた獲物が逃げられない構造をしているのでそう簡単には引っこ抜けない。無理に引っ張ると体がちぎれてしまいそうだ。
 どうにもいかないので銛先の接続部分を外してそちら側から引き抜く。

 銛先が魚から離れ、メグシにつながるコードにぶら下がり、重みが伝わる。
 続いて、魚を絞める。
 腕からナイフを抜き取り、目の脇にナイフを刺す。
 この行為も初めてで、手に力が入らない。左手で押さえた魚が脈打ち、蠢いている。わたしの鼓動も騒いでいる。
 見かねた相方がわたしを導く。
 そして、手伝ってもらいながら刃先が刺さる。思った以上に固くて、手に力を込めないとならない。生半可な気持ちでできるものではなく、”断つ”という意識がなければならない。それこそ躊躇なんかしてられない。
 どこかで決心がついたのか、吹っ切れたのか。
 意志を持ってナイフを強く握る。
 ざくざくと刃を入れていき、髄を断ち切るようにとどめを刺す。これが甘いといつまでも魚は意識がある状態で、苦しみ続けることとなる。
 髄は硬く、結構な力を要す。わたしはうまく急所を捉えることができず、何度も何度も刺すような、魚を苦しませるようなことをしてしまった。だんだんと自分自身も苦しくなり、弱気になってしまうが最後までやらなければならない。
  何度か刺し込んで、魚は絶命した。
 





 その後相方はもう一匹仕留めてきた。あの、わたしも見かけたシマシマの魚、タカノハダイだ。



 その魚もまた、わたしの手に渡され、先ほどと同じ工程を行う。今度は完全に自分の手で。
 やはりメグシを通す時、急所を断つ時、魚の息遣いとともに私の胸も激しく打っている。そう簡単に慣れっこない。それでも躊躇せず、手を動かしてゆく。的確とは言えないが、先ほどの感覚を糧に、先ほどよりも魚と向き合う。


 わたしの腰には二匹の魚がぶら下がり、ずっしりと重みを感じながら陸までゆっくりと漕いでゆく。